安楽死について
この記事は、カルガリーの日系新聞:カルガリーウォーカーに掲載したものです。少しセンシティブなトピックですが、この記事を通して、この問題について考えるきっかけになれば幸いです。
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安楽死について
最近、日本の友人から「プラン75」という映画を勧められた。これは2022年に公開された、安楽死をテーマとした映画である。映画の配信地域制限により、結局この映画を観ることはできなかったのだが、友人と安楽死についていろいろ話し合うことができた。
安楽死とは、患者が自らの意思で選択し、医療行為を通して病気の苦しみから解放されるための死を指す。そしてカナダと日本では、安楽死に対しての取り組みに大きな違いがある。
どちらの国でも「消極的安楽死:延命治療をしないことによる安楽死」はある程度認められているが、「積極的安楽死:致死量の薬物を摂取することによる安楽死」は日本では認められていない。
カナダでは2016年に安楽死が合法化された。その後、安楽死を選ぶ人は年々増えており、2022年には13000人に達するまでに至った。これは2022年のカナダの死因の全体の4.1%に相当し、25人に1人が安楽死を選んだということになる。カナダでは安楽死がかなり身近なものになってきていると言えるだろう。
もちろん、希望者が誰でも安楽死を選べるという訳ではない。複数の医師・看護師によって、以下の条件を満たしているかどうかの審査を受ける必要がある。
- 回復の見込みの無い病気による耐え難い苦痛・痛みがあること
- 自己決断する能力があること
- 患者自身の意思でること
- カナダ居住の成人であること
安楽死を、単純な賛成と反対の対立で片付けることはできない。これには次のように複雑で多面的な要素が含まれている。
苦痛の軽減
安楽死の最大の目的は、苦痛の軽減である。患者が回復の望みのない病気により耐え難い苦痛に苦しんでいる場合、その苦痛を取り除くために安楽死という選択を提供するのは人道的であるという考え方を元にしている。しかし一方で、安楽死という不可逆な選択が本当に患者のためになるのかという意見もある。
尊厳死・自己決定権。
医療現場では、患者の自己決定権は重要である。基本的に医療従事者は患者に治療を強要することはしない。患者という1人の人間の意思を尊重するということは、医療の視点を超えた人間の尊厳に関わってくるからだ。そして、この自己決定権の究極系が安楽死とも言えるだろう。
生命の価値
安楽死に関わる自己決定権は、自分の命は自分の所有物であるという前提で成り立っている。しかし、私たちの命は本当に私たちのものなのだろうか。生命は神聖なものであり、与えられたものであるため、人にはそれを侵害する権利はないという宗教的・哲学的な視点から、安楽死に反対する意見も多い。
悪用のリスク
社会的弱者を排除するために、直接的・間接的に安楽死が使われるリスクが指摘されている。高齢者、障害者、経済的に困窮している人たちが、家族や社会からの圧力を受けて安楽死を選ぶのではないかというものである。また、医療費やケアのコストの削減のために、安楽死が奨励される危険性も存在する。
資格基準の拡大
安楽死の実施に関する懸念の一つに、一度合法化されると資格基準がどんどん拡大されていくのではないかということがある。実際、カナダでも2016年に安楽死が合法化された時には「余命宣言」が条件の一つであったが、2021年にこの条件は取り除かれた。また、「精神疾患」による安楽死が検討されていたが、これは2024年3月に先送りされている。
安楽死の合法化に関して今のところそれほど積極的ではない日本では、これらの論議はあまり進んでいない。だからといって、安楽死が合法化されているカナダで上記の論議が十分にされたかというと、必ずしもそういうわけでもない。なので日本でもカナダでも、この問題は今後さらに深く議論されるべき重要なテーマである。
BC州で8年メンタルヘルスセラピストとして勤務後、2011年にアルバータ州に移り現在心理士:サイコロジストとしてカルガリーで勤務中。質問・お問い合わせは(403)921-8442またはnaoto@airdriecounsellingcentre.comまで